アクサクまぶらない

音楽について書きます。

自作小説『瞬間接着剤サンドウィッチ』

密室の湿度が背伸びをしている。これは擬人法という表現だ。

 
僕は野良猫のようなザラついた灯台代わりの偽物の舌を常に身に纏い所有している。入浴時も就寝時も。食物を体内に取り込まなければならない時期が一日に何度か訪れるのだが、その時点でもまるで瞬間接着剤という文明の利器でくっ付いているかのように手放せない。実を言ってしまうと一度取り外すとかかりつけの医者に裁縫用よりも本格的な糸で縫ってもらわなければならない。しかも一度でも空気の間が開いてしまえば触覚もおまけの味覚ももう戻らない。嘆いても後悔することが安定剤の作用になるぐらいだ。
僕が唇、歯、唇のサンドウィッチの奥に隠した特殊な舌を一直線に貫き、平らにして少しシンキングと瞑想の時間を管理者から貰えさえすれば、計測できる優れ物である。
ただし人間なので数値としては割り出せないので、眼球らが埋まっている全身の中の一つ、広義のパーツを駆使し本能のままに喩えてしまうべきだろう。
 
「ほんの少しだけ」「いや、とても」
 
このような曖昧な表現で己の声帯から湯船の中でする屁による徐々に肥大しては、やがて消滅する泡のように発射される音声。
全て理解を得たような気もしてきた。ただ、それらは全て誇張だったのかもしれない。
悟った次の瞬間僕の意識の中にある唾液の発生源に十割の地割れが発生してしまった。助けを求めるのにオーディオ的に感嘆符を連打しようとしたが間に合わなかった。
あまりの衝撃とストレスに耐えきれない。両鼓膜を目的地に台所用洗剤を挿入してしまえば物心ついた時から何も無かったことにならないだろうか。何も無かったというのは平凡や平和的な順調な積み重ねで今に至る、とは決して異なる。毒にも薬にもならない機械的な飲み食いを提供され、娯楽として書物の読み方だけは教示される生活。学問も労働もせず、幼い頃から運動不足という概念を知らずに一生を終える生活。ただし娯楽は日和見菌扱いとする。
パニックになったところで家族に製氷機から完成したばかりの氷を口に突っ込まれた。ところで何故改行後の前文だけ冷静な判断が出来たのだろう。数秒前瞬きした際だけ事実を認めていたのは自覚している。悲鳴も黄色くない声を出す余裕すら無かった。
 
あなたは、「不覚な笑みを抱えるのは不吉の象徴だ」なんて家族に説教されたことがあっただろうか?もしある人は当時をフラッシュバックし声帯模写することを決して勧めない。